③
「ゆきえ。今日はどうしてたん?ゆっくりできた?」
夕飯を食べながらコバくんが聞く。
「え?うーん…新しく求人誌が出てたから買ってみたんやけどな、あんまりピンとけぇへんかったわ。なかなかないんやなぁ。バーテンダーって。」
コバくんが毎晩のように聞く『今日はどうしてたん?』の言葉が怖い。
だって「何度も食べて吐いて泥のように倒れて死にたくなってた」がほんとのことなんだから。
私は『ほんとのこと』をまた今日も隠して笑いながら話している。
毎日毎日嘘ばかりだ。
「まぁ焦らんと。ゆきえが『ここだ!』っていうところが絶対見つかるよ。」
コバくんは私が嘘をついてることなんて微塵も疑っていないだろう。
ものすごく嬉しそうにニコニコ笑ってるコバくんを見て、ちょっとうっとおしいと感じている自分がいる。
私のことを何にも知らないくせに、と心の片隅で悪態をついている。
「うん。そうやね。いつもありがとう。」
私はそんな心の片隅の気持ちを見ないようにして、ニコニコと笑い返しながらお礼を伝えた。
感謝はしている。
ここでこうやって暮らせているのはコバくんのお陰だし、今日も死なずにいられて落ち着いてビールが飲めるのもコバくんの存在のお陰だと思うから。
「俺な、ゆきえが毎日こうやって『おかえり』って迎えてくれるのが嬉しくてしゃーないねん。もうお店で辛い思いしなくてええし、もうK氏に怯えなくてええし…なんか…よかったな!って思うねん!」
コバくんはごはんを口にかきこみながら、照れくさそうにそう言った。
「え…?あぁ…うん。そうやね!うん。そうやんなぁ。んふふふ。」
照れくさそうに「よかったな!って思うねん!」と言ったコバくんの仕草や顔がおかしくて笑ってしまった。
コバくんは私の思いとは関係なく、そんなことを思っているのかとちょっと驚いた。
私は毎日焦ってる。
早く私の居場所を作らなければと焦っている。
そして私は私がこの世界に存在してもいいという証拠を集めなくてはと焦っている。
必要とされる人にならなければ!と。
「美味しいなぁ!ゆきえのごはんは美味しいなぁー。今日のお弁当も絶品やったわ!いつもありがとう!」
コバくんは満面の笑みで、全身で嬉しさを表現しながら私にそう言った。
「ふふふ。そう言ってくれてありがとう。よかったわぁ。」
ちょっとだけ私がこの世界にいてもいいんだと言われたような気がして嬉しくなる。
虚しさをかなり伴った嬉しさだけれども。
「ゆきえ。俺…ゆきえが1人になりたいときは実家帰るしちゃんと言うてな。俺、毎日ここに帰って来たいけどそれがゆきえの負担になったら嫌やから。あ!俺家賃半分払うつもりやから!来月の分、半分払うつもりやから!あ!だからといって毎日俺も一緒に住むから!って主張したいわけやないんやで!ちゃうで!あの、えと、その…俺がそうしたいねん!…あかんか?…」
コバくんはしどろもどろになりながら勢いよく私にそんなことを言った。
「え?あー…ありがとう。えと…でもそれじゃあコバくんに悪いわ。コバくんが損してばっかりに感じてしまうわ。悪いわ。」
私はコバくんのそのまっすぐさがわからない。
コバくんになんのメリットがあるっていうんだろう。
ただ毎日食べ吐きをしてドロドロになっているクズ女にそんなことを言うなんて。
「損なんてしてへんわ!毎日ゆきえとおりたいだけや。あ!いや、毎日おれんでもええねんで。だから、その、えーと…いや、ほんまは毎日ゆきえとおりたいんやけどな。あれ?なんやったっけ?えと…あ!そうそう!損てなんやねん!俺がそうしたいの!…させてくれへん…?」
正直いって来月の家賃を折半してくれるのは助かる。
このまま仕事がまだ決まらないかもしれないから。
私は残り僅かな貯金と所持金を食べ吐きに使ってしまっている最悪な女だ。
食べ吐きはお金がかかる。
食べて吐き出すというまったく無意味なことに私はじゃんじゃんお金を使ってしまってるのだ。
「あー…そう…なんやぁ…ありがとうな。コバくんがそうしたいなら…。ほんまにありがとう。」
私はまたコバくんに後ろめたさを持つことになる。
そしてもし1人になりたくても「今日は1人になりたい」なんて言えなくなるんだろう。
「ほんま?!よかったぁー!ありがとう!あ、そやけどな、ほんまに1人になりたいときは言うてや。ちゃんと言うてくれなきゃ嫌やで。俺…毎日おりたいから言うてくれなわからんもん。お弁当も無理せんでええんやから。もちろん夕飯もやで。俺、ゆきえが無理すんの嫌やもん。」
コバくんは自分からお金を払いたいと言って、私が受け取ると言ったら「ありがとう」と言った。
この人は頭がおかしいのかもしれない。
いや、頭がおかしいのは私か。
「うん。わかった。あ、ビールもう一本飲む?それとも違うものにする?」
私はこの会話を早く終わらせたかった。
なんだかいたたまれなくて。
「うん。もう一本飲もうかな。ありがとう。」
コバくんは毎日優しい。
毎日ニコニコしながら私を見ている。
「ゆきえとおるのが一番楽しい!」と無邪気に言い続ける。
ここ塚口に引っ越してきてからの日々、私はコバくんとしか会話をしていない。
毎日何人ものお客さんと会話をして、富永さんや理奈さんとも楽しく会話をしていたのが遠い昔のことのように感じる。
当たり前の話しだけれど、SEXもコバくんとだけ、数日間に一回のペースでしているだけだ。(しかもとてもあっさりしているSEXだ。)
毎日何人もの男性とSEXをしていたのが嘘のようだった。
「ゆきえ。毎日どない?楽しい?身体楽になった?」
プシュッと缶ビールのプルトップを開けながらコバくんが無邪気に聞いた。
きっとコバくんはソープランドの仕事から解放された私がのびのび生活していると思っているんだろう。
多少の焦りはあるかもしれないけれど、あの仕事とK氏からは解放されたことを喜んでいると思っているんだろう。
「あー…うん。そうやね。毎日緊張せんでもええし、アソコも痛くならへんしな。それにK氏からも連絡がくることはないし。まぁはよ仕事決めななぁいう焦りはあるけどな。でも身体は楽になってるわ。うん。」
私は「あはは」と笑いながら軽く答えた。
膣が痛くならないのは確かに楽だ。
毎日何回も吐きそうになるほど緊張していたお客さんの出迎えもなくなったのはよかったのかもしれない。
でも。
楽しくは…ない。
私はソープランドを清々しい気持ちで卒業したのに、K氏にも私なりにけじめをつけたのに、やっぱり『楽しい』がわからないでいた。
私を苦しめていたことから解放されたはずなのに、もしかしたらあの時よりも今の方が苦しいんじゃないかと思うような毎日を過ごしていた。
毎日が息苦しい。
私は一生この狭い部屋から出られないのかもしれない。
そしてコバくんとしか一生会話できないのかもしれない。
雄琴のソープランドでどん底に落ちるかもしれないと思っていたのに、今この塚口の狭いマンションの一室の方がどん底のような気がしている。
「ゆきえが楽しく働けて勉強ができる店があるといいなぁ。ゆきえのバーテンダー姿みたいわ。そんでゆきえにお酒作ってもらうねん。楽しみやなー。」
「あはは。うん。はよ見付けなな。」
笑いながらそう言ったけど見つかる気がしない。
こんなどん底な毎日を送っている私に、そんないい話しがあるとは思えない。
そう思っている私をしり目に、コバくんはニコニコと未来を楽しそうに語っていた。
「どんなカクテル作りたいん?あ!俺にはどんなカクテルが似合いそうですか?名バーテンダーさん!」
この人はほんとに純粋な人だ。
なんの悪気もない。
なんの疑いもない。
ただただ無邪気だ。
なぜこんなにも幸せそうな顔ができるんだろう。
「えー!まだわからんよぉ。うーん…そやなぁ…コバくんはガブガブ飲んでしまうからショートカクテルは似合わんな。ロングしか作れんやろー。ていうかカクテル飲まんやんか!」
「えーーー!ゆきえが作ったのなら飲むー!絶対作ってや!絶対美味しいに決まってるけどな。あー楽しみやなー。」
私は心にどす黒い闇を抱えながら「あははは」と笑う。
絶対にそのどす黒い闇を見せないように。
見られたら終わりだ。
この世界に存在してもいい唯一の理由が消えてなくなってしまうから。
私は『死にたい』と切に思いながらも『生きる理由』を必死に掴もうとしている自分が滑稽でますます嫌いになっていっていた。
つづく。
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② - 私のコト第2章 ~小娘有里のその後 バーテンダー編~
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第2章のはじまりのご挨拶 - 私のコト第2章 ~小娘有里のその後 バーテンダー編~
ソープ嬢編から読みたい方はこちら↓